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グアム:美しい風景と女性

グアムは歴史的には悲劇の島ではあるが、美しい景色といろいろな国の人が住んだり観光したりしていて経済的には悪くはない。しかし、輸入品が多く物価は高い。  CX4



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グアムのビーチと海はバリのクタビーチより綺麗だ。また、浅瀬で波が静かで、なによりも、波打ち際まで魚がいて寄ってくる。また、海底にカニやナマコがいるのが見える。

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これはグアムチューインガムの実ということだ。

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ハイビスカスとガイドのチャモロ女性。よく似合う。

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見上げれば太陽が眩しい。

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グアムにも人魚伝説があって、この娘(こ)はこの川で若い時遊んでばかりいて人魚にされたそうな。川には
今はもう流れがない。


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オプションツアーガイドのフィリピンの運転手(上)。ハバロフスクから来た美人(下)。北川はそれぞれの国のことばで楽しんだ。


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韓国の若い女性観光団。

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日本のツアーガイド。北川が持って行ったチャモロ語会話プリントをあげたら仕事の役に立つと
喜んでいた。


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隣のホテルのフロントのフィリピン女性の変顔。タガログ語で仲良くなった。旦那はメキシコ人とか。でも、会話は英語でやっているとか。

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アメリカ的モール。奥に北川の好きなHootersが見えたので行ったら改装で閉まっていた。残念。アメリカの行く都市毎にチェックしているのだが。。。

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日本的食堂。ヤシがに、ロブスターがローカルで此処らしい。

レストランは他の国のも数限りなくある。夏休みの最後とって日本の家族ずれが大挙してきていた。今の子供は幸せだ。また、中国人家族も多く見かけた。
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「平城京天平祭☆夏2013」 2013.8.30

「平城京天平祭☆夏2013」ようこそ光の宮跡へ…と称して、
僕んちの裏庭 平城宮跡の夜を、
幻想的な光と灯りが包むイベントが8/30-9/1開催されます。 
台風15号と前線の影響で初日の開催が危ぶまれましたが、何とか開催。
関係者の皆様、観客の皆様、本当に良かったですね~!
超高感度ISO51.200(NRノイズリダクション強)の世界をご紹介します。
すべてISO51.200の手持ち撮影の写真です。
フィルム時代を考えたら本当にビックリで、あり得ませんネ!?
2013.8.31 フォトキョイ 江口

901平城京天平祭2013.8.30
F6.3 1/100 +1.3 50mm
902浴衣後ろ姿
F6.3 1/125 +0.7 100mm
904映像+スモーク
F5.6 1/320 300mm
906イルミネーション
F5.6 1/125 +0.7 120mm
907光の天平行列
F8 1/200 300mm
908光の天平行列
F5.6 1/50 +1.3 300mm
909大極殿へ向かって
F5 1/60 +0.7 28mm
910燈花会
F5.6 1/80 28mm

使用カメラ/レンズ:Canon EOS-1DX/EF28-300mmL

グアム島:悲劇の歴史

グアム島は穏やかな人々と美しい風景がある観光地である。一方、北マリアナ島を含め悲劇の歴史の島でもあり軍事基地の島でもある。  リコーCX4




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もともと、フィルピンと同様にマレーシア方面から小さな舟に乗ってきた人々が、酋長を中心としたチャモロ族のしまであった。そこへ、17世紀にスペインがカトリックとともに侵入してきた。

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敵軍を一望できる見晴らしのよい丘の上にある砲台。後に日本軍にも利用された。
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布教は砦と軍に護られて現地人に対して強制的に進められた。神父が殺されると、スペイン軍による大量虐殺が始り、人口が激減した。

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米西戦争でアメリカ統治になりスペインの悲劇は薄れたわりと平和な時代であったがアメリカは現地人の教育と権利は認めなかった。太平洋戦争で日本に統治されたが、随分と被害にあっている。米軍は
このビーチからも侵入した。大量の死者が出た。


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今も残る日本軍の防空壕。戦後、米軍は核兵器の収納をしていた。

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中は真っ暗で目には何も見えなかったがCX4では写った。

残念なことに、上のように常に他国の統治下(現在米国)におかれて、混血も進み独立の力はない。
ハワイのように町には日本人向けDFSやレストランがあふれているし、アメリカ色が一杯だ。唯一、チャモロ色に触れられるのは、表示に偶にあるチャモロ語やチャモロ料理とFMラジオのチャモロチャンネルである。
北川はホテルにいる時はこのチャンネルのチャモロ音楽をずっと聴いていた。しかし、ジョン・デンバーの
曲をチャモロ語で流していたのには驚いた。

グアム島:チャモロ族

近くて名古屋から3時間半で行けるので、いつでも行けると一度も行ったことのないグアム島へマイレージを使って行ってきた。この組写真はそこの原住民のチャモロ族で纏めた。   リコー CX4


ここは、チャモロ族のパークである。ジャングルの奥から家が見えてきた。

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全てヤシの葉や木から作った構造物や敷物である。

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チャモロ族の登場である。はふぁディー(こんにちは)この人が云わばリーダー。ハワイ人にも感じが似ていてミクロネシア・ポリネシア人はよくにている。ことばも、VSO型でハワイ語、タガログ語などと同じだ。単語も同じものがある。しかし、リーダ曰く、チャモロ語を話せる人は10%しかいなくて消滅言語に近いので哀しいとか。

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この道具はインドネシアの田舎でも見かけた。

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日本ではあまり見かけない。

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ヤシの実の処理。ジュースを吞み、ココナツミルク(クリーム)を食べ、油をとり、燃料、活性炭と役立つ。

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ヤシの葉で篭、笊、敷物、バッグなど何でも作る。

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海水から塩をつくる。グアムの海水は透明度が高くきれいだ。

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チャモロ料理の定番の一つ。赤飯がジャンバラヤみたいで美味かった

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100年前の形式知事の家。ここに10数人も住んでいた。


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スペイン・アメリカ・日本・アメリカと次々と統治された。スペインはかなり虐殺を繰り返しカトリックに改宗させた。そのとき、人口が8分の1の5000人に減ったとか。

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このガイドの女性は米語を流暢に話すが、チャモロ語はできなかった。

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こちらは、生のヤシの葉からの芸術。この人は教師で、チャモロ文化と言語を復活させようとしている。

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チャモロの親子。愛嬌がよく目が純粋で可愛い。

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上の母親もそうだが、伝統的には、女性はふくよかな方が好まれるらしい。アフリカの何処かの
国でもそうだったかな。


チャモロ族はスペインに加え日本軍にもさんざんやられて、上で紹介した家の床にも銃弾の痕があった。そうでしょうとガイドの女性に訊くと躊躇しながら軽く肯いた。日本人の私に配慮した優しい気持ちが伝わってきた。フィリピンの出稼ぎで人口の35%近くはフィリピン人でホテルではタガログ語が役に立つ。
混血も進み、純粋なチャモロ族はもういないのかもしれない。帰国のとき乗ったタクシーの運転手さんも
母親はチャモロ、父親がフィリピン、奥さんが日本人だとか。まあ、グローバルな今、混血は
どんどん進むだろう。それぞれの、文化を保持しながら、混合で新しい文化が生れると良い。
確か昔住んでいたカナダはそういうポリシーだったと思うが。

45年前の名古屋城周り

二年生のとき撮影した名城周りの雑景である。
 NIKKOR FTN, Nikkor f=35㎜、Neopan SS



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白黒で出る雰囲気もいい。

45年前の千里ニュータウン

二年生の時、名阪戦の折だと思うが、できて間もない千里ニュータウンへ撮影に行った。高度成長の当時、鉄筋コンクリートの集合住宅へ入るのは人々の一種の夢であった。
 NIKOMAT FTN、NIKKOR f=35㎜、Neopan SS


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女の子二人の表情は明るい。今はもう50何歳だ。時の流れは速い。

「大阪・北~南散策」 2012.8.27

昨日大阪へ出る機会がありましたので愛用のミラーレス一眼レフカメラOlympus E-PL5を持って、北・梅田と南・難波をスナップしてきました。
2013.8.28 フォトキョイ 江口

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西梅田地下 ウォーターカラー
78デイドリーム
西梅田地下 デイドリーム
79ドラマチックトーン
西梅田 ドラマチックトーン
80リーニュクレール
梅田阪急横断歩道 リーニュクレール
81ウォーターカラー
大阪ステーションシティの時計 ウォーターカラー
82ジオラマ
アメリカ村 ジオラマ
83ポップアート
難波OCATへの地下 ポップアート
84レーニュクレール
OCATへの入り口 リーニュクレール
85ウォーターカラー
港町地下広場 ウォーターカラー

このカメラE-PL5にあるアートフィルターという機能でたまに遊んでみるのもおもしろいですね。

“トルコ 私のお気に入り⑲” 北キプロスに残るキリスト教会・修道院

トルコの南、地中海に浮かぶキプロス島は1960年にキプロス共和国としてイギリスから独立。その後、ギリシャ系住民とトルコ系住民との間で紛争が起こり、軍が介入。1983年に北キプロス・トルコ共和国として独立宣言した。(トルコ以外の国は認めていない。)今も島は南北に分断され、中央の町レフコーシャには南北の緩衝地帯があり、国連平和維持軍が駐留しているとガイドブックに書かれています。
その北キプロスに昨年夏3日間滞在した中で、トルコ本土ではあまり訪れなかったキリスト教会・修道院がとても印象的だったので一部をご紹介します。
2013.8.26 フォトキョイ 江口

01ギルネイコン博物館
ギルネ イコン博物館外観
02イコン博物館
ギルネ イコン博物館内部
03ベッラパイス修道院
ベッラパイス修道院
04キプロス島東端ディプカルパス・アポストロスアンドレアス修道院5.31
キプロス島東端ディプカルパス アポストロフ・アンドレアス修道院外観
ギルネから合計350km以上、タクシーで他も廻って200us$(当時の日本円で18,000円弱?!)
05ディプカルパス・アポストロスアンドレアス修道院
アポストロフ・アンドレアス修道院内部
06牧師
アポストロフ・アンドレアス修道院
07聖ジョージ教会
ガズィマウサ 聖ジョージ教会
08ガズィマウサ・ララムスタファパシャジャーミィ (1)
ガズィマウサ ララ・ムスタファパシャ・ジャーミィ外観
ガズィマウサの顔ともいえる、14世紀建造のゴシック建築。
もともと聖ニコラス大聖堂という名で、キプロス王の戴冠式が代々行われた由緒ある教会。オスマン朝の手に落ちた後はジャーミィ(イスラム教会)となっているそうです。
09内部
ララ・ムスタファパシャ・ジャーミィ内部

トルコ地図北キプロス教会

名称未設定-1のコピーのコピーのコピー
印が今回ご紹介の教会・修道院

奈良・元興寺「地蔵会」 2013.8.23

この地蔵会は家内安全と子どもたちの健やかな成長などを地蔵菩薩に祈願するもので、石のお地蔵さまの前に灯明皿が並べられ、幻想的な灯りが揺らめく「万灯供養」が見られます。
毎年8/23と24、奈良元興寺にて執り行われます。
2013.8.24 フォトキョイ 江口

67元興寺「地蔵会」2013.8.23

68石仏地蔵

69モニュメント

70ローアングル

71ハイアングル

72上から

73子供たちの幸せを願って

74お祈り

75お母さんと


内戦以前の平和なシリア(4)…調査の様子

このプロジェクトでは、考古学班が中心となって紀元前3000-2000年頃(前期青銅器時代)のガーネム・アリ遺跡(下図)の発掘調査が実施されました。私ども地質調査班の現地での仕事は、発掘トレンチ断面の地質層序の観察記載と、年代測定・各種分析用試料の採集でした。これとは別に、私どもはビシュリ山系(下図)一帯の地質調査を実施しました。

2013年8月22日 星野光雄


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調査地の説明

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ガーネム・アリ遺跡の発掘トレンチからは7層の生活跡が発見された。(2009年3月写)

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トレンチの中で発掘作業をしている現地雇いの村人(2009年3月写)

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ガーネム・アリ遺跡を離れ、ビシュリ山系を車で登っていくと、盗掘跡も生々しい遺跡があった。(2007年3月写)

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ビシュリ山系をさらに登っていくと、完全な砂漠となる。(2007年11月写)

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砂漠でも、ワジ(涸れ谷)の部分だけは地下水面が比較的高く、植生がみられる。(2007年11月写)

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これはスイカの原種(2007年11月写)

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さらに奥へ突き進むと、崖地形(写真遠方)が現れた。崖下も地下水面が比較的高いので、遺跡がよくみられる。(2007年11月写)

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ここにはビール・スバイという旧石器時代の遺跡があり、近くで採れる良質のフリントを使って石器を作っていた。地面には暗褐色のフリント石器や破片が散乱していた。(2007年11月写)

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ビシュリ山系の地質も大変興味深い。植被が無いので地層の構造が一目瞭然(手前の直立した地層)(2008年5月写)

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大変めずらしい天然のアスファルト層(暗色部)。古代の人々はこれを熱で融かして土器や建具の隙間充填剤・補修材として利用していた。現在はアスファルト舗装の原料として使われている。(2007年11月写)

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ビシュリ山系で最もよくみられる石膏層(写真手前)。厚さ数メートルの石膏層が何枚も重なって厚い蒸発岩層を形成している。(2007年3月写)

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ときには激しい砂嵐に遭遇する。視界がきかなくなるので運転には注意が必要(2009年3月写)

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最後に、世界文化遺産のパルミラ遺跡を紹介します。ローマ帝国支配下の時代、ビシュリ山系西端のオアシスに栄えた交易都市。遺構の配置などが美しく、世界中から観光客が押し寄せます。(2007年3月写)

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パルミラの夕景(2007年3月写)

Canon PowerShot Pro1・・・(2007年3月)
Nikon CoolPix 2500・・・(2007年11月)(2008年5月)
Olympus μ830・・・(2009年3月)

















45前のメーデー

こちらは1年たった2年生の作品。45年前のメーデー。1年生の写真に比べると人の中に入って行っている。  NIKOMAT FTN, Nikkor S f=35mm, Neopan SS.

お知らせ:北川は24-29日グアム、9/2-12タイ・インドネシア旅行に出かけますのでアップロードは
お休みもしくはスローになります。




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大きなベースアップが見込める時代で皆明るい表情だ。

46年前のメーデー

46年前のメーデー。写真部は毎年撮影に出かけた。この写真は1年生の時で人を撮るのにまだやや腰が引けてる。
 ニコレックス、Nikkor S f=35mm, Konipan SS。この時北川はレンズを買うのがせい一杯で、高岡先輩からニコレックスをお借りして撮影した。このカメラは安物でNikonの名誉を汚すとしてガチャレックスと揶揄されたがレンズがいいのでよく写っている。



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この頃は高度成長期で給料はドンドン上がったし、どんどん要求した時代であった。従って、メーデーもややお祭り的な雰囲気であった。この時の子供は今はもう40半ばを過ぎて低成長期を生きている。

写真部同期生

またまた懐かしいネガが出てきた。連続写真をコマ送り
すると動く。
  ネガホルダーの記録によるとPENTAX-SV 。
借りものだがこれを持っていたのは、内間先輩か浅野先輩だったと思う。 レンズ不明(M42マウントタクマ―であることは確か。みた目の画角だとf=35㎜か)。Neopan SS PENTAX-SVブラックでタイマーがフィルムパトローネ軸のトップリングになっていてジャーという大きな音がしていた。
1967年5月25日撮影




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フォトキョイ「京都加茂大橋・飛び石」撮影会 2013.8.20

昨年、ゲリラ豪雨の影響で突然中止となった撮影会。
今年は炎天下、あまりにも暑いためか、撮影会の時間帯、子供たちはチラホラ状態…。
でも頑張って少ないチャンスを狙いました。
恐る恐る飛び石を渡る子供や夢中になって水遊びをしている子供たちに、昔懐かしい頃の自分を思い出しました。
加茂大橋の後、四条河原町で冷たいビールを美味しく頂きました。
2013.8.21 フォトキョイ 江口

56みんな一緒に
小学生の集団がやってきました。
57渡るよ
飛び石に恐る恐る…
58お母さんと一緒
お母さんと一緒に…
59お父さんと魚とり
お父さんと一緒…
60魚がいた
魚がいたぞ~!?
61鴨川のサギ

63京都暑い夏
加茂大橋 京都の暑い日
64夏休みの日
夏休みの一日
65先斗町
ビアホールをめざして先斗町へ…
66 四条大橋小焼け
市場河原の橋の上で…


46年前の名古屋港

46年前の名古屋港の雑景である。
NIKOMAT FTN, Nikkor S f=35mm, TriPan-X



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この頃は、小さな舟が活躍していて修理屋もあった。

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高度成長期のスローガン。今は、賃上げは何処へ行ったのか?

46年前の名古屋駅

46年前の名古屋駅である。新幹線周りは今とあまり変わらないが、人の服装は古い感じがする。
  コニカアイ(ハーフサイズ) f=30㎜、Neopan SS



プラットホームから駅西を見た処。今のように高いビルが無い。駅裏ともいわれ、
夜は寂しくかなり怪しい場所だった。

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子供らの服が古い。でも、新幹線に乗るのは大変楽しみだった。

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急いで急いで。この頃、年配は新幹線に乗り馴れていない。

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別れを惜しむ。

広小路祭り

名古屋にもいろいろな祭りがあるが、これは広小路祭りである。ブラスバンド、阿波踊りはじめ色々な踊りや、ポップス、JAZZとごった煮である。清水さんの写真にも阿波踊りがあったと思う。

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このあと、東新町へ飲みにいったが祭り流れの人で一杯の客だった。
8月末には日本ど真ん中祭りがあるが、残念ながらGUAMに出かけてしまうので撮影できない。
五十住さんお願いします。ミノルタレンズで奇麗なお姉さん達を撮ってください。
私はGUAMでチャモロ族の写真を撮ります。できれば、若いお姉さん。Hafa dai

46年前の京都②

46年前の京都の続き。
機材、フィルム同じ。



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オールドレンズの所為で太陽のフレアーが眩しい。

46年前の京都①

46年前の京都である。和服の女性を多く見かけた。京都は古都の景観を今でも維持しているがそれでもこの頃はもっと風情があった。
 ネガケースの記録によるとレオタックスとなっている。西尾(現在新圖)さんから借りたものだ。レンズは記録に無い。ライカLマウントのレンズ。以下の写真で分るようにフレーアが強く出ているが古都をぼんやり表現するにはむいろいいのかもしれない。フィルム TriPan-X&Neopan SS



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このような京都を和服を着て和服を着た女性と歩いてみたいものだ。

46年前の大王崎―魚

魚をオブジェとして撮った。
機材 同じ(横田部長から借用のTopcon)



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マンボウやツバスや鰯の目が訴えている。
若い女性は魚の目があると怖いので魚を三枚におろせないそうだ。

46年前の東京の夜景

ついでに、46年前の東京の夜。
機材、フィルムは前と同じ。


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撮影後は宿で寛ぐ。しかし、北川は学生服で東京を歩いていたのか。

46年前の東京小景


汚染されていた46年前の東京だが写し方によっては綺麗に見える。 機材前と同じ。Neopan SS&Tripan X。

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人型のゴーストの原因は分らない。ネガの変質ででたものか?

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46年前の汚染東京

46年前の東京は先に紹介したゴミ問題に加えて、大気や水の汚染が酷かった。  NIKOMAT-FTN、Nikkor S f=35㎜&200㎜(田中先輩から借りる)



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空は本当にどんよりしていた。今の北京が丁度、この頃の東京だ。

46年前の漁村の生活と子供

46年前の大王崎の漁村の鄙びた生活とこども達である。
  Topcon+トプコール50㎜? ネオパンSS&TriX



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46年前の工場

記録によると名古屋の港区にある何処かの鉄工所である。高度成長を支え続けたのである。  不明(誰かからの借り物)+Neopan SS





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北川は日立に就職した時、研修で旋盤工を半年もやっていたので今でも使える。こういう雰囲気は暗くて汚ないがノスタルジックで好きだ。

徳川園

自宅の近くにあるが外国のお客さんを連れて行くぐらいしか行かない徳川園を撮った。   Canon PowerShot A-1400




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暑い日(名古屋は35℃以上)だったので、日陰と水流は涼とを取るのには最高だった。

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小森を抜けると開けた池の庭園に出る。

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風にたなびく柳葉と池の蓮は風情がある。若い人には柳は好まれないとも聞いたが。

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ここの鯉は客の餌差やりが習観慣付いているらしく直に寄って来る。
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鯉と蝶。なかなか撮れない瞬間であった。

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遠景のビルを見て町中にいることに気が付く。

46年前、大王崎で働く人々

46年前大王崎で一生懸命働く人々を撮った。

 横田部長から借りたTopcon、多分トプコールf=50㎜



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若い娘(こ)もいる。

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これは、ホウボウかな?

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家族と話をしながら撮影。
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ネガの画像面の劣化でのぞけなかった白いゴーストが見えるが、この子は元気な子だった。

漁港は活気があっていい。

“トルコ 私のお気に入り⑱” マリマリス「ダルヤン・カウノストツアー」

2008年6月、一か月間のトルコ撮影旅行中、ひ弱な僕の身体を休めるため、珍しく一日クルージングツアーに参加しました。
このツアーはマリマリスを9:30出発19:30帰着、船賃・昼食・入場料など込みで何と30トルコリラ(当時の日本円で約2,700円)。
大の大人が一日退屈せずに遊べました。中味はクルージング後、海水浴や小さな船に乗り換えて蛇行したダルヤン川を遡り、カウノス遺跡・岩窟墓の見学、そして泥風呂体験など…。
そのツアーの中から男性諸氏大好きな水着女性の写真を選りすぐってご紹介します。
2013.8.18 フォトキョイ 江口

01さ~泥風呂の始まり
さ~、泥風呂の始まり~!
02皆で
皆で泥の塗りあいっこ~!?
03きれいでしょ
一番右の女性、かわいいでしょう。
04ナイスヒップ
そう!その彼女のヒップなのです。
今までトルコで写真に収めた中で最高のヒップですネ!?
05胸の谷間
こんな立派なバストも…
06泥風呂三昧
泥風呂三昧
07泥風呂が終わって
泥風呂が終わってしばらく泥を乾燥させます。
08綺麗に
その後、シャワーで泥を落とせば見事きれいなお肌に~?!
09ヒップ~!
泥風呂の前後に海できれいなヒップも撮影
10きれいでしょ
まるでモデル撮影会みたい!?

この日のツアー参加者は何と約400名、ロシア・ドイツ・オランダ・もちろんトルコの人々。特に多かったのはロシア人。オイルバブルの影響を直に感じました。
なお、日本人は泳ぎもしない、泥風呂にも入らない、ただ夢中になって写真を撮っている、変なおじさん一人だけでした。

11トルコ地図マルマリス泥風呂ツアー
印がマルマリス印がカウノスダルヤン
次回の“トルコ 私のお気に入り”は北キプロスに残るキリスト教会・修道院

46年前の夢の島・新夢の島

46年前の東京撮影合宿の作品。この頃は、高度成長で東京の一極集中で人口は膨れ上がりゴミの問題が
懸案であった。今の様な進んだ焼却炉はなくもっぱら東京湾をゴミで埋め立てていた。それにより、
曰く夢の島ができそれも一杯になって新夢の島ができつつあったので、撮影に行った。
NIKOMAT FTN, Nikkor S f=35mm & f200mm(田中先輩より借用)
 



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入り口のこの辺りはもうゴミの影もなく砂漠のようだ。

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だんだん、汚ない汁が干からびたものがみえてきて悪臭もする。

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それでも、雑草は逞しい。

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前線の新夢の島に行くゴミを積んだトラックが行きかう。

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がんがんとゴミを積み上げる。

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やがて、腐敗が進行し圧縮されて土になって行く。そのとき、海洋汚染と温室効果ガスのメタンガス発生が強烈に生ずる。

日本ではゴミ処理技術はかなり進んでいるが、発展途上国ではまだまだである。日本の先進技術を役だてなくてはいけない。

内戦以前の平和なシリア(3)…ラッカ、アレッポ

ラッカはユーフラテス河沿いの小都市で、野外調査のベースを市内のホテルとしました。アレッポはダマスカスに次ぐシリア第2の大都市で、地質ボーリング会社との交渉のために訪れました。現在のアレッポ市街地は、内戦によってひどく破壊されたようです。
2013年8月16日 星野光雄

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ラッカ市内 8世紀のグレート・モスク遺跡にて(2007年3月写)

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ラッカの少年(2007年3月写)

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グレート・モスク遺跡での現地討論会:あーでもない こーでもない(2007年3月写)

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遺跡の古井戸 八角形はイスラムの象徴(2007年3月写)

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ラッカ市郊外の露店(2007年11月写)

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ラッカ市内の真新しいモスク(2007年3月写)

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古代都市アレッポに聳え立つ難攻不落のアレッポ城(2009年3月写)

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アレッポ市内の由緒あるホテル・バロン アラビアのロレンスも滞在したとか(2009年3月写)

Canon PowerShot Pro1・・・(2007年3月)
Nikon CoolPix 2500・・・(2007年11月)
Olympus μ830・・・(2009年3月)
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